24th
テレビをつければ、コメンテーターと称するタレントや大学の先生が、自分の“溜め”をまったく自覚しないまま「運も実力のうち」、「自分の力でつかみとらなきゃいけない」、「甘えなければ仕事はあるはず」と説教している。本人の生活再建にはなんの役にも立たない説教を、ただ「自分だって苦労してきたんだ」ということを、言っている自分が気持ちよくなるためだけに、たれ流していたりする。
「上から目線」という言葉がある。人を見下したような、自分が相手より上に立っていることを前提にしたような考え方・発言という意味だが、自己責任論をふりかざす人たちに共通しているのが、その「上から目線」だ。というか、自己責任論は必ず「上から目線」になる。「上から目線」のないところに、自己責任論は生じない。
なぜなら、自己責任論とは、そもそも仕事がうまくいかなかったり、生活が立ちゆかなくなったりした人たちに対して、うまくいっている人たちが投げつけるものだから。
自分で「がんばろう」と思う気持ち、それは大切なものだし、自分がそれだけの“溜め”をもっていることの証(あかし)でもある。しかし自己責任論は、“溜め”がなく、がんばれなくなってしまった人たちを、さらに痛めつけるために使われる。「努力しないのが悪いんじゃないの?」、「甘やかすのは、本人のためにならないんじゃないの?」、「死ぬ気になればなんでもできるんじゃないの?」--すべて、弱ってしまった人たちに向けられている。
努力したかどうか知らないが、とりあえず現状でうまくいっている人、甘やかされなかったかどうか知らないが、さしあたり生活に問題がない人、死ぬ気になっているかどうか知らないが、とにかくできている人たちに対しては、そもそもそんな問いは投げかけられない。うまくいかなくなったとたんに、「努力してるのか?」、「甘えてないか?」、「死ぬ気になってるか?」と問われはじめる。
もうひとつの共通点は、これらの自己責任論的問いにはいずれも答えようがない、ということだ。努力が足りないんじゃないかと言われれば、そうかもしれないとしか答えようがない。甘えてるんじゃないかと言われたときも、死ぬ気になってないだろうと言われたときも、同じ。それらはいずれも底なしでキリがなく、「自分が足りないのだろうか?」と思いはじめたら、どこまでいっても問題を自分に投げ返しつづける。
自己責任論は、そうやって問いが社会に投げかけられるのを防ぐ。出てこないように蓋(ふた)をする。そして本人の中に「なにかおかしいんじゃないか? 自分が不当な扱いを受けているんじゃないか?」という問いを閉じ込める。自分で自分を痛めつけるように、その疑問が外に、社会に出てこないように封じこめる。結局は「文句言うな。黙れ」と言っているのと変わらない。
自己責任論の一番の目的、最大の効果は、相手を黙らせることだ。
弱っている相手を黙らせること。これは弱い者イジメだ。(※引用はここまで)
弱っている人たちをさらに痛めつける「上から目線の自己責任社会」を変えていかなければ、1日に100人近くが自殺に追い込まれ続ける先進国最悪の日本社会を、いつまでたっても改善することはできないのではないでしょうか。